みんなの意見がまとまったことだし、近い内に王都へ行って奴隷を買ってこよう。
そう思っていたある日、家にパルティア国の役人がやって来た。衛兵を三名ほど連れていた。役人は横柄な口調で言った。
「この家で麦を植えていると聞いて、確認しに来た。畑を見せろ」
「どうぞ。こっちです」
家の裏手、イザクの畑は金色の麦穂でいっぱいだ。
横のほうにはナスやトマトなんかの野菜も植えてある。 役人は畑の実り具合を見て唸った。「この広さで麦を栽培しているとなると、税金がかかる」
「えっ。俺、収入に対しての税金はきちんと納めていますけど。それとは別に?」
それにそもそも、ここの畑は自家消費用で作物を売ったりはしていない。
俺は思わず文句を言いかけて、ぐっとこらえた。
ここで役人と言い争うのは得策じゃない。
「そうだ。麦は我が国の主食。ごく小さな家庭菜園程度なら見逃すときもあるが、ここまで広ければきっちりと取り立ててやろう」
ええー!
ただでさえ二ヶ月に一度の税金はけっこう重いってのに、畑からも取るのかよ。「税率はどのくらいです?」
「五割だ」
高すぎんだろ!
この国に食い詰めた人が多いのが分かったわ。 苦労して畑を耕しても、半分も作物を持っていかれるんじゃ暮らしが成り立たない。 肥料とかの経費を差し引くとかそういう考えもない。出来高からまるっと五割だ。だが、国家権力に逆らえるわけがない……。
今ここで衛兵と役人を皆殺しにするくらいの実力なら、今の俺にもある。 昔は衛兵に歯が立たなかったが、今なら三人相手取っても負ける気がしない。 けれどもそんなことをやってしまったら、俺は一気に重犯罪者だ。 奴隷たちも連座の罪に問われて死刑になるだろう。 そんなのできるわけがない。くそ。「今日は測量をしていく。計算結果にもとづいて税金を請求するので、必ず支払うように」
その日の夕食時、みんなの前で今日の話をする。「……というわけで、畑の作物に税金がかかるんだそうだ」 俺が言い終えると、部屋の中はため息とがっかりした空気で満たされた。「お国のすることは、いつだって横暴じゃのう」 バドじいさんがため息をつく。 俺も続ける。「正直、これからの方針が不安になった。下手にお金を稼ぎ続ければ、国に目をつけられるかもしれない」「実は店のほうも、帳簿に難癖をつけられて」 エリーゼが遠慮がちに言う。「間違いとも言えないような小さいミスをあげつらって、違反金を払えと言われました」「そんなことがあったのか」「はい。その後、間違いではないと証明できたので、お役人は引き下がってくれましたが」 役人どもはろくなことしないな。 最悪、ミスのでっち上げもあり得る。「たぶんそれ、ワイロよこせって意味だと思うぜ」 夕食のかぼちゃスープをすすりながら、ルクレツィアが言った。「帝国じゃよくある話でさ。袖の下を渡しておけば、色んなことを見逃してもらえる。ワイロを拒めば必要以上に厳しくされる。どこも同じだね」「嫌ですねえ。わたくしたちはいいものを作って、真っ当に商売したいだけなのに」「ガウ……」 レナとクマ吾郎もげんなりした表情だ。 エミルは困った顔で大人たちを見ている。「これからもうるさく言われるようなら、ワイロを渡すのもアリか……」 ムカつくが、奴隷たちの身の安全とスムーズな商売のために仕方ないのかもしれない。 エリーゼが言った。「わたしが開拓村にいた頃は、子供だったので。ここまで税金が重いとは知りませんでした。家族がわたしを奴隷商人に売ったのも、やむを得ないと実感しています」 彼女は家族が生き延びるために売られたんだったな。 悲しい思い出を思い出させて申し訳ないよ。 &he
ドォンッ! 体を突き上げるような激しい衝動で、俺は目覚めた。 まわりは真っ暗。何がなんだか分からない。 手探りでドアらしきものを探り当て、必死の思いでこじ開ける。 外は嵐だった。 激しく揺れる地面は木の床で、雨粒と波をかぶって水に沈みかけている。 大波が襲うごとに船は軋んで、今にも壊れてしまいそうだ。 船だ。俺は船に乗っていたんだ。 どうして? 思い出せない。 まるで見知らぬ場所の影絵を見るように、目の前の光景が展開されている。 ドンッ! また衝撃が走る。 すでに沈みかけている船が、波をまともに受けて揺らいでいるのだ。 ギィィと木が軋む嫌な音がして、床の傾きの角度がぐんと上がる。 高波をかぶって俺は転んだ。為すすべはなかった。 船の手すりを掴もうとしたが、全てが遠い。 俺は海に放り出された。 次々と襲ってくる波と雨のせいで、水中に落ちたと気づくのに時間がかかった。 激しい波に濁る海中で、船が真っ二つになっているのが見えた。 真っ二つになって、渦を起こして沈んでいくのが。 それが、俺の意識の最後になった。 パチ、パチと小さな音がする。 全身ひどく寒かったけれど、その音のする方向だけ少し暖かい。 そっと目を開けてみると、オレンジ色の炎が見えた。 焚き火だ。 焚き火のそばに二人の人影がいる。 俺の目はまだかすんでいて、どんな人物なのかまではよく見えない。「うう……」 声を出そうとしたが、うめき声しか出なかった。「おや。目が覚めたか」 若い男の声が答える。「君は三日も眠っていた。ニアに感謝するんだな。わざわざ君を海から引き上げて、こうして世話までしたのだから」 少し視力が戻ってくる。 よく見れば、二つの人影は若い男と少女のようだ。「あなた、難破船から落ちて溺れたのよ。覚えてる?」 ニアという少女が言う。十三歳か十四歳くらいに見えた。「覚えて……る」 かすれた声だったが、ちゃんと喋れた。 男が立ち上がって、俺にマグカップを差し出してくれた。 中身は温めたミルクで、ゆっくりと飲めば腹が温まってくる。「ありがとう、ええと」「ルードだ」 男、ルードは素っ気なく言ってまた焚き火の前に腰を下ろした。「運が良かったな。船はバラバラになって、浜に打ち上げられたのは瓦礫と死体ばかりだった。生きているのが
ため息をついたルードが投げやりな口調で言った。「まあいい。意識が戻ったのだから、我々は先に行く。あてのない旅ではあるが、他人のために足止めはごめんだからな」「ルード。彼は目を覚ましたばかりよ。もう少しだけ助けてあげましょう」 ニアが言うと、ルードはあからさまに舌打ちをした。なんだこいつ、性格悪いな。「そういえば、名前を聞いていなかったわね」「ニア、よせ。名など聞けば余計な縁ができる。今の我らにそんなものを抱える余裕があるか?」「縁ならもう十分にできているわ。今さらよ。……それで、あなたの名前は?」 俺の名は――「ユウ、だ」 何も思い出せないくせに、名前だけはするりと出てきた。 それともYOUのユーだろうか。 分からんが、ユウは意外に馴染みがいい。本当に俺の名前なのかもしれない。「ユウ。もう少し眠るといいわ。私たちが火の番をするから、安心して」 ニアがにっこりと微笑んだ。 横ではルードが苦い顔をしている。 分からないことだらけで不安だったが、体は冷えて疲れ切っている。 返事をするのもままならず、俺は再び眠りに落ちた。 再び目覚めると、体はずいぶんマシになっていた。 焚き火のそばには、相変わらずニアとルード。二人は小声で何事か話している。 俺が目を開けたのに気づいて、ルードが言った。「顔色は良くなったな。起き上がれるか?」「ああ、大丈夫だ」 体のあちこちが痛んだけれど、俺は立ち上がった。 ぐっと手足を伸ばす。洞窟の天井は案外高くて、俺が手を伸ばしてもぶつかったりしなかった。 深呼吸をすると、腹がぐうと鳴った。 いいことだ。空腹を感じるのは、正常なことだからな。「ほら、飯だ。食え」 ルードが投げて寄越したのは……生肉である。 生肉は地面を転がり、土で汚れている。 いや生肉って。病み上がりの怪我人に与えるか普通? 生肉を手に取って俺は困った。困ったが、腹はぐうぐう鳴っている。 仕方なく肉を焚き火であぶってみる。 串もなくあぶったものだから手が熱い。「うおっアチッ」 肉の端に火がついて、ついでに俺の手もやけどしそうになった。こりゃだめだ。 仕方ない、生のままだがかじってみよう。 俺は口を開けて肉にかぶりつく。「ォエェェッ」 で、普通に吐いた。 胃の中が空っぽだったので胃液を吐いてしまった。 当
足元に転がってきたのは、古びた剣と盾だった。 どちらもあちこち錆びついており、いかにもガラクタといった様子。 手に持ってみると無駄にずっしりと重い。質の良くない金属で作ったものなのだろう。 ルードが言う。「お前がこれから一人で生きていくには、まあ、冒険者になるのが妥当だろうな。なにせ森の民だ。下手に出自を知られれば、定住はおろか迫害を受けかねん。であれば、自分の身くらいは自分で守ってみせろ。……ニア」「うん」 ニアが立ち上がって、小さく何事か呟いた。 ぐるり、空気が奇妙な渦を巻く。その渦の中心に小さい何かが生まれた。「ピキー」 それは丸くっこくて水分が多そうな、よく分からない生き物だった。 白っぽいしずく型でぷにぷにしている。 俺は何となく某国民的RPGの一番弱い敵を思い出した。「ピキー」「ピキッ」 そいつらは全部で三匹いる。ぴょんぴょんと跳ねている動きは、ちょっと可愛いかもしれない。 ルードが腕を組む。「最弱魔物の『グミ』だ。初心者の相手としてはちょうどいいだろう。そいつらを殺せば、ルード先生の親切は終了だ。さあ、やってみせろ!」「ピキーッ!」 そいつらはぴょんぴょん跳ねながら、襲いかかってきた!「うわ!」 俺は慌てて剣と盾を持つ。 すると―― デロデロデロ…… 何とも不吉な気配がした。手元の剣と盾は不気味な赤黒い色に包まれている。 ただでさえ無駄に重量があったのに、さらに重くなりやがった。ここまで来ると素手のほうがいいと思うくらいだ。「あぁ、すまん。その武具は呪われていたか。まあ後で解呪法も教えてやろう。とりあえず頑張れ」 ルードが無責任なことを言っている。 絶対わざとだ、あれ!「ピキ!」 どすっ! グミの一匹が体当たりをしてきた。「ぐふっ」 小さい割に強烈な体当たり。いや、俺が弱いのかもしれん。「ピキピキ!」「ピーッ!」 立て続けに三匹からぶつかられて、俺は思わず膝をつきそうになる。 だがここで体勢を崩せば、よってたかって襲われて死ぬ。ルードは助けて……くれなさそうだ! 俺は必死に周囲を見た。 洞窟はそんなに広くはなく、奥に行くに従って幅が狭まっている。 奥の壁を背にすれば、三匹同時に攻撃されることはないだろう。「くそっ!」 重すぎる両手の剣と盾を引きずるようにして、俺は洞窟
床にへたり込んだ俺の目の前に、小瓶に入った液体が差し出された。 少し目を上げるとニアがいる。「お疲れ様。最初としては頑張ったと思うわ。このポーションを飲めば体力が回復するから、どうぞ」 彼女はルードよりはよほど信頼できる。 瓶を受け取って赤い液体を一気にあおった。 味は正直、薬臭くてうまいとは言えない。 それでも渇ききった喉を滑り落ちる感触が心地よい。 すっかり飲み干すと、確かに体が楽になった。 俺は立ち上がって空き瓶をニアに返した。「それから、これも」 ニアは今度は古びた巻物を渡してきた。「これは?」「解呪のスクロール。いつまでも呪われた装備だと、困るでしょう。後で読んでみて」「ありがとう!」 まあその呪われた装備をそうと言わずに寄越したのは、そこにいるルードなんだが。 ちなみにヤツは全く反省のない顔で、肩をすくめている。「親切にしてやるのも、もう十分だな。ニア、そろそろ行くぞ」「うん」 ニアとルードは連れ立って洞窟を出ていく。 洞窟の出口でニアが振り返った。「ここから西の海岸を南に行けば、町があるから。一度行ってみるといいわ。それから焚き火の横の袋は、あなたへのささやかなプレゼント」「俺からも最後の忠告だ。森の民の尖った耳は、差別と迫害の対象になる。町に行くなら隠しておけ」「お互い生き延びていれば、またいつか会えるわ。さようなら」 二人は口々にそんなことを言って、今度こそ本当に洞窟から出て行った。 大して広くもない洞窟の中で、俺は一人になった。「さて、ニアの言う『プレゼント』は、っと……」 俺はまず、袋の中身を確認してみることにした。 背負うのにちょうど良さそうな大きさの袋の中には、カチカチに固いパンと干した果物、さっきもらった赤いポーションがいくつか、それから色違いのポーションと巻物が何枚か入っていた。 ルードの呪われた装備よりよっぽどまともである。ありがとう、ニア。「まずは装備の解呪をしないと」 赤黒く光る剣と盾は手から離れてくれず、しかもやたらと重くて不便で仕方ない。 俺はもらった解呪のスクロールを開いて読んでみた。 口に出して巻物の文字を読み上げると、装備が白い光に包まれた。 おっ、これが解呪か? そう思ったのもつかの間、剣と盾の赤黒い光が抵抗するように強まって、白い光を吹き飛ばして
魔力やスキルでわけが分からなくなってしまったが、俺はもう一つ心配があった。 それは、俺が一体どうして船に乗っていたのか思い出せないことだ。 ステータスでは俺は十五歳の森の民であるらしい。 しかしそう言われても実感がない。 正直俺は、自分がもっと大人のつもりでいた。二十代とか、何なら三十歳くらいのだ。 それに時折自然に脳みそを流れていく、変な言葉や記憶たち。 某国民的RPGやら、底辺高校のヤンキーやら、バトル漫画やら。 俺にとってはこれらの方がよほど馴染みがあって、今の自分は突然どこか別の場所に放り込まれたようにすら感じる。「異世界転生……?」 スキルやらステータスやらがある以上、ここは俺が本来いた場所ではない。そう確信がある。 ならばここは別の世界で、俺自身も前の俺ではない。 それこそゲームやアニメで聞いたことのある、別の世界に生まれ変わる――異世界転生をしてしまったと考えるとしっくり来た。 船が沈没したショックで前世の記憶を思い出したってとこか。 思い出した引き換えに今までの十五歳分の記憶が消えてしまったのが痛いが、今さらどうにもならん。「いやあ、どうするかなぁ……」 俺は心の底からのため息をついた。 異世界転生したらしいと分かっても、事態は何も変わりはしない。 俺の両手は呪われた剣と盾が張り付いており、ステータスはほぼオール1で、頼れる人は誰もいない。 何もかもが絶望的だ。 けれども俺は死ぬのは嫌だった。 というか、こんなわけの分からん状態でわけの分からんままで死ぬとか、誰だって嫌に決まっている。 船の難破も、ルードみたいな性格クソ悪野郎に生肉食わせられたのも、理不尽な目に遭うのはもうコリゴリだ。 死んでたまるか。 生き延びてやる。 俺の願いは生きること……! これからこの世界で、きっちり生ききってやるんだ! 他でもない、俺自身の力で!! そう決めたら、腹の底から力が湧いてきた。 そうだ、このままじゃいられない。やられっぱなしでいられるか!「町に行ってみよう」 このまま洞窟でこうしていても、ただ時が流れるだけだ。 町に行けばスキルが習えるかもしれない。そうしたら呪いも解ける。 生きていくのに必要だった。「腹が減ったな」 これから長時間の移動をするのだ。余裕のあるうちに飯を食っておこう。 俺は
袋の中身は少々の食料と、何色かのポーション。それに巻物がいくつか。 うち、赤色のポーションは体力を回復する。これは自分の体で体験済みだ。 では赤色以外のポーションと巻物はどうだ。 解呪の巻物は何の役にも立たなかったが、攻撃に使える巻物はないだろうか。 そう思って巻物を取り出してみたがけれど、これがどんな効果を発揮するのか皆目分からん。 そういえば解呪の巻物もニアが「これで解呪できる」と渡してきたからそういうものだと分かったのであって、俺が解読したのではなかった。 だが、それならとりあえず読んでみよう。やってみればよかろうなのだ。 解呪も失敗はしたが、白い光が出てきた。俺程度の魔力でもちゃんと発動はする。 俺はボロボロの巻物を手に取った。 開いて呪文を読み上げる。すると……「――えっ?」 ヒュン! と軽いめまいのような感覚がして、次の瞬間、俺は地面に立っていた。 場所はさっき登っていた木から十メートルちょい離れた場所か。 なんだこれ。瞬間移動した!? 木の上から消えた俺が地面に立っていると気づいて、グミどもがわらわら転がってきた。 ぎゃああああ! 俺は再び猛ダッシュして、手近な木に登った。「なんだこれ! なんだこれ! また死ぬところだったぞ」 何とか別の木に登って、俺はゼエゼエと荒い息を吐く。 やっぱり効果不明のものに思いつきで手を出すのは良くない……。 俺はとても反省した。 次。 反省した俺は、少しでも効果を確かめてから使うことにした。 巻物はもうどうしようもない。だって、いくら眺めても効果の予想ができないからな。 俺はポーションの瓶を取り出した。 赤以外では、緑色、ピンク色、透明(わずかに黄色)がある。 それぞれ瓶のふたを取り、匂いをかいでみる。 緑色のポーションは生臭い匂
地面に降り立った俺に、赤グミが体当たりを仕掛けてくる。 その動きの素早さも重量感も白グミより一回り上で、俺はやっとのことで盾で受け止めた。やっぱりこいつ、手ごわい。 呪われた剣を振り下ろす。赤グミにかすったが、大したダメージになっていない。 赤グミの動きは素早く、俺ののろまな剣がまともに当たる気配はない。 二度目の体当たりを受け、俺は降りたばかりの木に背をつけた。 防戦一方に追い込まれて、じりじりと木を回り込みながら反撃のチャンスを探す。 そうして何度目か、赤グミは助走をつけた体当たりを仕掛けてきた。これをもろに食らえば、たとえ盾で受け止めても無事でいられないだろう。 弾丸のような勢いで飛びかかってくる赤グミを、渾身の力で盾で受け――「くらいやがれ!!」 受け止めはせず、受け流すように。 木の幹に沿って勢いを流しながら、赤グミを盾ごと地面に叩きつけた。 ――まだ残っていた硫酸溜まりへと。「ピギ――――――ッ!!」 硫酸に体を焼かれて、赤グミが絶叫する。 何とか逃げようともがくが、必死に盾で押さえつけた。 やがてだんだん抵抗する力が弱まって、ついには何もなくなった。「ハアッ、ハァ……」 硫酸溜まりから盾を引き上げ、何度も荒い息を吐く。「ははっ……ざまあみろ」 ふと盾を見れば、もともと錆びてボロボロだったのがさらにひどい有り様になっていた。硫酸に焼かれたせいであちこち腐食している。 こんなでも呪われていて外せないとか、どんな理不尽だよ。 そして、ふと。『ユウのレベルが2になりました』 奇妙に無機質な声が耳元で聞こえて、俺は飛び上がった。 声はそれだけを告げた後、ふっつりと聞こえなくなる。「レベル上がったって? マジでゲームの世界だな……ステータスオープン」 名前:ユウ 種族:森の民
その日の夕食時、みんなの前で今日の話をする。「……というわけで、畑の作物に税金がかかるんだそうだ」 俺が言い終えると、部屋の中はため息とがっかりした空気で満たされた。「お国のすることは、いつだって横暴じゃのう」 バドじいさんがため息をつく。 俺も続ける。「正直、これからの方針が不安になった。下手にお金を稼ぎ続ければ、国に目をつけられるかもしれない」「実は店のほうも、帳簿に難癖をつけられて」 エリーゼが遠慮がちに言う。「間違いとも言えないような小さいミスをあげつらって、違反金を払えと言われました」「そんなことがあったのか」「はい。その後、間違いではないと証明できたので、お役人は引き下がってくれましたが」 役人どもはろくなことしないな。 最悪、ミスのでっち上げもあり得る。「たぶんそれ、ワイロよこせって意味だと思うぜ」 夕食のかぼちゃスープをすすりながら、ルクレツィアが言った。「帝国じゃよくある話でさ。袖の下を渡しておけば、色んなことを見逃してもらえる。ワイロを拒めば必要以上に厳しくされる。どこも同じだね」「嫌ですねえ。わたくしたちはいいものを作って、真っ当に商売したいだけなのに」「ガウ……」 レナとクマ吾郎もげんなりした表情だ。 エミルは困った顔で大人たちを見ている。「これからもうるさく言われるようなら、ワイロを渡すのもアリか……」 ムカつくが、奴隷たちの身の安全とスムーズな商売のために仕方ないのかもしれない。 エリーゼが言った。「わたしが開拓村にいた頃は、子供だったので。ここまで税金が重いとは知りませんでした。家族がわたしを奴隷商人に売ったのも、やむを得ないと実感しています」 彼女は家族が生き延びるために売られたんだったな。 悲しい思い出を思い出させて申し訳ないよ。 &he
みんなの意見がまとまったことだし、近い内に王都へ行って奴隷を買ってこよう。 そう思っていたある日、家にパルティア国の役人がやって来た。衛兵を三名ほど連れていた。 役人は横柄な口調で言った。「この家で麦を植えていると聞いて、確認しに来た。畑を見せろ」「どうぞ。こっちです」 家の裏手、イザクの畑は金色の麦穂でいっぱいだ。 横のほうにはナスやトマトなんかの野菜も植えてある。 役人は畑の実り具合を見て唸った。「この広さで麦を栽培しているとなると、税金がかかる」「えっ。俺、収入に対しての税金はきちんと納めていますけど。それとは別に?」 それにそもそも、ここの畑は自家消費用で作物を売ったりはしていない。 俺は思わず文句を言いかけて、ぐっとこらえた。 ここで役人と言い争うのは得策じゃない。「そうだ。麦は我が国の主食。ごく小さな家庭菜園程度なら見逃すときもあるが、ここまで広ければきっちりと取り立ててやろう」 ええー! ただでさえ二ヶ月に一度の税金はけっこう重いってのに、畑からも取るのかよ。「税率はどのくらいです?」「五割だ」 高すぎんだろ! この国に食い詰めた人が多いのが分かったわ。 苦労して畑を耕しても、半分も作物を持っていかれるんじゃ暮らしが成り立たない。 肥料とかの経費を差し引くとかそういう考えもない。出来高からまるっと五割だ。 だが、国家権力に逆らえるわけがない……。 今ここで衛兵と役人を皆殺しにするくらいの実力なら、今の俺にもある。 昔は衛兵に歯が立たなかったが、今なら三人相手取っても負ける気がしない。 けれどもそんなことをやってしまったら、俺は一気に重犯罪者だ。 奴隷たちも連座の罪に問われて死刑になるだろう。 そんなのできるわけがない。くそ。「今日は測量をしていく。計算結果にもとづいて税金を請求するので、必ず支払うように」
奴隷制は未だに嫌いだが、もうそんなことも言っていられない。「そうしてもらえると、助かります」 夕食時、みんなが揃ったところでこの話を切り出した。 今日はルクレツィアとクマ吾郎も戻っている。ちょうどいい機会だった。「というわけで、人手不足解消のために奴隷を買おうと思うんだ。どんな人がいいとか、みんなの意見を聞きたい」「接客と計算ができる人だと助かります」 エリーゼが言った。 彼女の仕事は店関係。特に帳簿や商品管理は一人でしているので、負担が重いだろう。「私は助手がほしいです」「わしもじゃ」 錬金術のレナと宝石加工のバドじいさんは、同じことを言った。「最近は店の売上が好調で、生産が追いつかないんです。ユウ様たちのダンジョン攻略の際には、良いポーションを持っていってほしいから」「わしも作るはしから売れる今の状態は、ありがたいんじゃが。いいものができたら、ユウ様やルクレツィアやクマ吾郎に使ってほしいんじゃ」「ガウ」 バドじいさんはクマ吾郎の頭を撫でた。 そのクマ吾郎の首には、宝石の嵌った首輪がつけられている。 魔法の守りが込められた、バドじいさん自慢の一品だった。「オレは畑をもっと広げたい。農業スキル持ちを買ってもらえるとありがたい。できれば三、四人」「そんなに?」 思わず言うと、イザクはうなずいた。「広い畑を手入れするには、人手がいる。今はオレ一人でやれる分しかやっていなくて、いつももったいないと思っていた」 今でもけっこう広いと思うんだけどな。 特に今年は春蒔きの小麦を植えたので、そろそろ収穫できそうなのだ。 小麦が採れれば麦粥にしたり製粉してパンにしたりと、自給自足の幅が広がる。「……そういえば、製粉するにも労力がかかるよな」「そういうことだ」 俺のつぶやきにイザクが同意した。 純粋な農作業だけでなく、周辺の仕事も含めての人数か。なるほ
春、夏と半年間を鍛冶に目一杯打ち込んだおかげで、俺の鍛冶の腕前はかなり上がった。 扱える素材はずいぶん増えて、今は魔法銀を主体にやっている。 魔法銀は名前の通り、魔力が含まれた銀色の金属だ。 軽い上に魔法と相性がいいので魔法使いに愛用されている。 ただ頑丈さはやや難あり。 なので生粋の戦士たちには、耐久度抜群のアダマンタイトのほうが人気がある。「ユウ様よぉ。ダンジョンでグリーンドラゴンをぶっ殺したら、こんな素材が手に入ったぜ」 ある日、ルクレツィアが変わった素材を取ってきてくれた。 緑色でツヤツヤした鱗である。「おっ、これは竜鱗だな! 素材としては最高クラスだよ。やるじゃないか!」 俺が目を丸くすると、ルクレツィアとクマ吾郎は得意げな顔になった。「へへっ。あたしらにかかれば、ドラゴンだって敵じゃないんだよ」「ガウ!」 まったく頼もしいな。 俺の手の竜鱗を覗き込みながら、ルクレツィアが言う。「ドラゴンは色違いが何種類もいるだろ。そいつらの鱗も素材になるの?」「もちろんだ。ドラゴンは属性を持っているからな。例えばこのグリーンドラゴンは、弱い冷気属性。レッドドラゴンは火属性」「へぇ~。じゃあ、色んな色のドラゴンの鱗をむしり取ってくりゃあ、ユウ様の鍛冶の役に立つな?」 俺はうなずいた。「今の俺の実力じゃ、竜鱗はちょっと難易度が高いが。もっと練習すれば、必ず扱えるようになる。そうすればお前たちの武器や防具を作ってやれるよ」「いいね! ユウ様が作ってくれた斧、切れ味よくてさ。気に入ってるんだ」 そんな話をしていると、バドじいさんがひょっこり顔を出した。「今、竜鱗がどうとか聞こえたんじゃが」「うん、ほらこれ。ルクレツィアとクマ吾郎が取ってきてくれた」 グリーンドラゴンの鱗を見せると、彼は目を輝かせた。「おおお、素晴らしい! 竜鱗は宝石加工スキルでも最高ランクの素材でしてなあ。これがあれば、効果の高い護符が作
そうしているうちに季節は巡り、三度目の春がやってくる。 俺は記憶喪失で誕生日を覚えていないので、難破船から放り出されて洞窟で目覚めた日を誕生日代わりにしている。 だからその日、俺は十七歳になった。「ユウ様、お誕生日おめでとうございます!」「おめでとう!」「おめっとさん」「ガウ~!」 家の皆が盛大に祝ってくれて、ちょっと照れくさかった。 その日の食卓はいつもより豪華な食事が並んで、みんなでおいしく食べた。 今さら誕生日を祝うような年齢ではないが、こうやってパーティ気分で楽しくやるのは悪くない。 食後のケーキはエリーゼとレナの手作りだそうで、おいしかった。みんなすっかり満腹、満足。 エミルが「僕もお手伝いしたんだよ!」と胸を張っていたので、頭を撫でてやったよ。 レナとバドじいさんの生産品はますます品質が上がって、店の売上は絶好調。 ひっきりなしにお客が来るものだから、店が手狭になってきたので、拡張を決意する。 ついでにいよいよ、俺も鍛冶スキルの練習を始めよう。 王都の大工に出張を頼んで、店舗スペースを広げてもらった。 さらに家の横に鍛冶場を作る。 それなりにお金がかかったが、資金はしっかり貯めてある。問題ない。 これで準備は整った。 ダンジョン攻略と素材採集はルクレツィアとクマ吾郎のコンビに任せる。 ルクレツィアは突撃癖がまだ抜けきっていないが、クマ吾郎がいれば安心だろう。あいつは頼れる熊だからな。「いいか、二人とも。くれぐれも『命大事に』だ」「へいへい。分かってるよ」「ガウー!」 そうして俺は鍛冶に取り掛かる。 最初は扱いやすい青銅なんかを叩いて、そのうち鉄に。 カーン、カーン……。 熱した鉄は真っ赤になって、叩くたびに火花が散っていく。 叩き具合によって金属の硬度
統率スキルの効果が確認できたので、俺たちはますます仕事に励んだ。「なあ、ユウ様よ。たまにはあたしもダンジョンに連れて行ってくれよ。腕がなまっちまう」「まあ、そうか。今のとこ店に強盗が来たわけじゃなし、実戦の機会がなかったもんな」 女戦士のルクレツィアがそう言うので、自宅の警備をクマ吾郎と交代してダンジョンに行ってみた。「ヒャッハァ! 死ね、死ねー!」 ルクレツィアはぱっと見、美人なんだけど。 戦い方はバーサーカーだった。「ちょ、ルクレツィア、ストップ! 一人で突っ込んだら危ないだろうが」「ユウ様のサポートが届く範囲までしか、行ってないぜ?」 しかも野生の勘が鋭いバーサーカーである。 彼女の戦士としての腕前の割に、奴隷の値段が安いのはなんとなく察した。 狂犬すぎて御するのが大変だったんだろう。 ボスを見つけて単身で突っ込んでいったときは肝が冷えた。 しかも瀕死になるまでダメージを受け続けて、後一撃で死んでしまう! となってから回復ポーションを飲むのだ。 いくらレナのポーションが効果抜群だと言っても、これはない。「お前、ほんっとーにやめろよ! そんな戦い方してたら、いつか死ぬぞ!」「いいじゃん。戦士は戦いで死んでなんぼよ」 ケロッとした口調で言うので、俺は怒りを覚えた。「いいわけあるか! 俺は誰にも死んでほしくないんだよ。俺自身、今まで必死で生きてきた。生きたくても生きられない人の気持ち、考えたことあるか!?」 この世界で目を覚ましてから、理不尽な死者は何人も見てきた。 あんなふうに死にたくない一念で俺はここまで来たんだ。 ルクレツィアは気圧された様子で口ごもる。「え、あの……?」「お前が死んだら、家のみんなが悲しむと分かって言ってんのか? エミルは泣いて夜寝られなくなるぞ。他の大人だってどれだけ落ち込むことか。それ分かった上で言ってんのか!?」「……悪
表示されたステータスに妙なものを見つけて、俺は思わず叫んだ。「え! なんだこの『特殊スキル、統率(小)』って!」 メダルで習得した覚えはないし、それっぽい行動も特に覚えはない。 思わず声を上げると、エリーゼも不思議そうに言った。「でも、何となく味方がパワーアップしそうな名前ですね。統率」「確かに」 いつの間にこんなの生えてたんだろうか。 俺たちは首をかしげながらも、分からなかったので保留となった。 統率のインパクトがすごすぎて忘れていたが、ついに魅力が上がったのも地味に嬉しい。 エリーゼが教えてくれた歌唱スキルのおかげだと思う。もう音痴とは言わせない。 後日、王都で色々と調べた結果。 統率は多くの仲間を引き連れたリーダーに与えられるスキルだと判明した。 仲間の数と忠誠心によって会得する。 効果は仲間にさまざまなボーナスを与えるのだという。 俺は今年になって奴隷をたくさん買った。 奴隷というより仲間に近い感覚で彼らに接していた。 そりゃあそんなに甘やかすつもりはなかったけど、彼らはあくまで人間。仕事仲間だ。その思いは変わらない。 だからみんなも俺に心を開いてくれた……と思う。 それが忠誠心という形で表れて、統率スキルになったのか。 確認されている統率スキルの効果はさまざまだが、その中に「仲間の潜在能力を引き出し、成長を促す」というのがあった。 ここ最近のみんなの急激な成長はそのおかげだろう。 そういえば、俺自身の成長よりもクマ吾郎パワーアップのほうが上なんだよな。 統率スキルの影響だったのか。「そんなことってあるんだなぁ」 思わずつぶやくと、「ガウガウ!」 クマ吾郎が得意げな顔で鳴いた。 まるで「分かってたもんね!」とでも言いたそうだ。 そん
季節は夏を過ぎて秋になり、やがて冬に差し掛かる。 それぞれの役割を忠実に果たし続けた俺とクマ吾郎、それに奴隷たちは、努力に見合った成果を手に入れていた。 俺とクマ吾郎は戦闘能力がかなり上がった。 もう一流冒険者としてどこへ行っても恥ずかしくない実力だ。「俺は一流。クマ吾郎は超一流かもな」「ガウ!」 奴隷たちはおのおののスキルを磨いた。 錬金術のレナのポーションは、店で売っているポーションより一回り高い性能を発揮する。 中級レベルまでのダンジョンであれば十分に通用する性能だ。場合によってはボスにも使える。 宝石加工のバドじいさんのアクセサリーは、冒険で大きな効果を出している。 このクラスのアクセサリーは店では売っていないし、ダンジョンのドロップを狙うにも難しい。 ある程度の数をいつも揃えているこの店はとても評判がいい。 エリーゼも裁縫の腕を上げて、みんなの服を作るようになった。 ただ、彼女は店の経営と二足のわらじ。他の奴隷に比べれば裁縫スキルはゆっくりとした成長になっている。 イザクは農業スキルを上げて、見事に畑を耕した。 家の裏手はよく整えられた畑が広がっている。 秋まきの野菜が植えられて、もう少しで収穫できるという。楽しみだ。 子供のエミルと女戦士のルクレツィアは、そこまで変化はないな。 エミルはまだまだ幼い。 ルクレツィアは元からけっこう強かった上に、まだうちに来てからそんなに経ってないし。「それにしても、みんなすごい成長ぶりだよなぁ」 ダンジョンから家に帰った俺は、レナとバドじいさんの新作を見ながら言った。「世の中に錬金術師や宝石加工師は、たくさんいると思うんだけど。レナやじいさんは修行を始めてまだ半年そこらだろ。それが標準より良い性能のものを作るんだから、びっくりだよ」「そうですね……。実はわたしも、ちょっと不思議で。やっぱりご主人様の人徳でしょうか?」
家人らの担当が決まったので、俺とクマ吾郎の坑道も決める。 俺とクマ吾郎は今まで通りダンジョンの攻略に精を出すことにした。 これまでは金策メインだったが、これからは素材採集をもっと積極的にやるつもりだ。 どんどん作ってがんがんスキルを鍛えてほしい。楽しみだ。 鍛冶スキルは習得したものの、実際に手を出すのはもう少し先になる。 というのも、鍛冶はハンマーやら金床やら溶鉱炉やら、設備が必要になるからだ。 今の家じゃ狭くて置き場がない。 いずれ鍛冶場を作らないといけないな。 まあ、奴隷たちのスキルがもっと上がって店の売上が安定してからの話だ。 そうして回り始めた新しい生活は、順調なスタートを切った。 俺とクマ吾郎がダンジョンで採集してきた素材は、レナが錬金術でポーションに、バドじいさんが宝石加工で護符やアクセサリーにしてくれる。 どちらもまだそんなに品質は高くない。 が、冒険者が多く行き来する場所に店を出したのが当たりだった。 ダンジョン攻略の前後に立ち寄る冒険者が予想以上に多くて、ポーション類はいつも売り切れ。 護符とアクセサリーも上々の売上を記録している。 護符とかアクセサリーは魔法の力を込めて作るんだが、壊れやすい。半消耗品なのだ。 作れば作るほど売れるとあって、レナとバドじいさんのやる気がアップした。 毎日たくさんの生産をこなして、腕もぐんぐん上がっている。 そんなある日、俺がダンジョンから帰るとエリーゼが話しかけてきた。「ご主人様。盗賊ギルドのバルトさんから手紙が届いています」「バルトから?」 久々に聞いた名前に首をかしげながら、手紙を開いた。『親愛なるユウへ。 きみが店を持ったこと、たいそう繁盛している話を聞いたよ。 もうならず者の町に戻る気はないのかな。 盗賊ギルドの宝石